JR 福知山線
理論上は時速133kmで脱線する可能性があるとJR西日本の幹部は説明した。机上の計算という。ならば、実際の走行試験はしていないのか。今回のJR側の説明対応から、素人的な、幼稚な弁解に終始しているという点が見られる。例えば自動車のテストドライバは、路面を濡らし、鋭角のカーブに時速200kmで突入して、急ブレーキを踏むという訓練をする。スピンをする限界、正常に止まれる限界を身をもって体験するのである。危険とは、限界以上のことをしてはじめて分かるものである。限界以上のことをしなくては限界は分からない。福知山線の半径300kmのカーブ地点において、どの程度の限界を乗り越えた走行実験がなされていたのか。カーブの時速70kmという速度制限の数字もどの程度根拠がある数字なのか。例えば、雨の日に線路敷地内に子供がヨチヨチと入って来て、驚いた運転士が急ブレーキをかけた状況は想定されていたのか。訓練されていたのか。日勤教育という運転士の課程があるそうであるが、そこで教えるのは、まさにこのような運転技術的訓練であろう。脱線を経験しなくては脱線する限界は分からない。それを訓練で経験するのである。
疾走
われわれは時速100kmで疾走している乗り物に乗り合わせている乗客である。気づこうと気づくまいと。現代文明の快適と地獄は紙一重である。現代技術文明はこの瀬戸際に成立している。事故の現場とは、現代文明が圧縮された象徴でもある。冷静に現状を認識する必要が求められる。加害者と被害者という境界は安易な前世代のカテゴリ思考である。距離を置くことも一法であろうし、賢者はそのすべを感性のレベルで認識している。
列車脱線事故 その本質の表現
「例外において本質が顕現する」と、ジャン・ポール・サルトルは名言を残している。事故は例外である。それ故に交通技術とそれを運営する企業、支える利用者の本質が、事故という日常生活からの例外によりあらわになる。同時に事故は最も痛切かつ切実な、揺るがしがたい表現でもある。それは歴史に刻まれる。また、事故は決して偶然ではない。原因から派生した必然の結果である。現代技術文明が地獄絵の上に築かれていることに気づく賢者は、謙虚さという最良の防御術を学ぶに違いない。
痛切なる反省とおわび
小泉首相は22日午前(日本時間同日午後)、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)首脳会議で演説し、先の大戦をめぐる「痛切なる反省と心からのおわびの気持ち」という歴史認識を提示した。その内容は「わが国はかつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」として「痛切なる反省と心からのおわびの気持ち」を表明。更に日本は今後とも軍事大国にはならないとの決意を強調した(毎日新聞/読売新聞)。
けだし、この文言は政治家としての英断であろう。久々に政治家の良い仕事を見た。これぞ政治家の仕事である。他の政党もこの声明に関しては一致共同した見解を表明してもらいたいと願う。もっともそれほどの度量は野党には無いかも知れないが。
URL
「CMからURLが消える日」と題するコラムを読む。
http://news.livedoor.com/trackback/1092838
CMから企業のURL表示時間の短縮あるいは消滅されつつある。それを憂えるという主旨である。デジタルデバイド(digital divide)は、情報技術を使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる技術的格差がその根源であり、それが待遇や貧富、機会の格差となりうる。
先のコラムを読んでの読後感は次である。URLにhttp://www...などと打ち込んでインターネットをしている人間が、まだいるのだ。
無料のjwordなりmsnなりを使えば日本語で企業名、キーワードをアドレスバーにいれて使うのが常識になりつつあるのに。アドレスバーにバンバン日本語を打ち込み検索をかけるのが通常になりつつある。
しかも当のコラムはポータルサイトを運営している記者が発信しているのには二重の驚きでもある。
吉田松陰
松陰の魅力は多面的である。多面的であるがゆえに、その魅力が増幅される。教育者としての松陰を述べてみる。当時重罪であった思想犯として牢に入れられた松陰は、同輩に窃盗、強盗、詐欺師などの極悪人を見出す。しかし、ここで松陰は、彼ら極悪人の人間としての誇りと知性を目覚めさせ、彼らを次々に感化してゆくとてつもなき離れ業を成し遂げる。「人間には必ずどこか他人より優れたところをもっている」。例えば口達者な詐欺師には短歌などを教え、その言語能力を良い方に昇華せしめた。良い短歌を作り、松陰にほめられ、また別の人間に褒められることに依り、そのねじまがった性格を変貌させていったのである。
翻って、現代の公的教育機関が行う断罪はどうであろうか。刑事罰に該当するような罪を犯した学生を、強制退学させる大学などがある。このような学校を教育機関と呼べるであろうか。彼らこそ、特待生として、倫理、道徳、躾など教育の初歩から丁寧に再教育しなければならない対象であろう。それらを放擲するとは、まさに教育の放棄であり、自らが教育機関でない証左でもある。
松陰は言う。「人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている。わたくしは、人を信じ過ぎる欠点があったとしても、絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う」。「悔いるよりも、今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない」。後半は本居宣長も言う。
「学問をする眼目は、自己を磨き自己を確立することにある」。「士たるものの貴ぶところは徳であって才ではなく、行動であって学識ではない」。
「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」とは松蔭が愛した孟子の言葉である。世俗的不幸短命ゆえ、教師に根強い人気のある松蔭ではあるが、その思想を知る教師は少数であろう現代の教育風土である。
松下村塾に初めて来た人間は、その小ささと活動期間の短さに驚く。歴史に与えた甚大な影響、驚嘆すべき人材の育成、後世の名声、などと余りにも対照的であるがゆえである。しかしそれもまた松陰的であると言わねばならぬだろう。
数学者 矢野健太郎
別れてから久しい時間が経過すると、通常「去る者日々に疎し」となるであろう。しかし、一方で、その人に会いたい情熱が、その時間の空白に比例して、日増しに強くなる人格もある。ゲーテや三木清が情熱をもって語る人格の力である。その力ゆえ、離れた時間が長ければ長いほど、強烈にその人格と再会したくなる。
その一人が数学者の矢野健太郎である。彼の数学の証明方法、問題の解き方は独特であった。その著述には、数学のおもしろさと学問への愛情ががぎっしり詰まっていた。数学的知性への得も言われぬ魅力が溢れていた。その解き方、思考方法に再度触れてみたい。かつて手元にあった書籍は不要であろうと破棄してしまった。頻繁に行く神田の古本街で尋ねてみても、「高校の数学の問題集はちょっと・・」と言われる。しかしネットで検索して探し出せた。感動である。
言論
言論を支えるのはその背後に宿る哲学であり、思想である。個人で自らの哲学や自らの思想を点検し直す人間は少ない。またそれが客観的に可能ならば、その人間は一流の学者たりえる知性を有するであろう。哲学が脆弱な論調は奇妙なねじれを誘発する。例えば次のような言論がある。「大手報道機関から独立し、スポーツ・ノンフィクションの売れっ子作家の先輩からこんな話を聞いたことがある。元同僚から『資料を提供するから、うちの会社の批判を書いてほしい』との依頼が後を絶たないそうだ。噴飯ものとは、まさにこれだ。ジャーナリストなら自分で書けば済む話ではないか」。http://news.livedoor.com/trackback/1078462
自分では書けないから依頼をしているのであろう。あるいは新しい視点を模索しているのであろう。ジャーナリストが10人居れば、10通りの哲学と思想がその背後にはある。そしてそれらは各々異質なものである。当たり前のことであるが。